吉原(台東区千束)

現役の"泡国”街で、かつての吉原遊郭(新吉原)。

江戸時代、当初は現在の人形町にあったが(元吉原=芳町)、明暦の大火を契機に現在の場所へ。

『全国遊郭案内』によれば、昭和5年当時「引手茶屋が四十五軒、貸座敷業が二百九十五軒、紅唇の娼妓が三千五百六十人働いて居る」。

戦災で壊滅、戦後はRAAの慰安施設を経て赤線へ。

『全国女性街ガイド』によれば、昭和30年当時「女給と名を変えた千二百名〈二十九年度版”吉原図”によると組合加入店二百七十軒〉の女たち」が働いていた。

赤線廃止後の現在は特殊浴場街で有名だが、風俗営業法一部改正で営業禁止区域に指定された京町一・二丁目および江戸町一・二丁目の一部には取り壊されずに残っている赤線建築が点在。


かつて水路の両側に土手を築いたことから「二本堤→日本堤」、のちに「吉原土手」と呼ばれた。

土手は昭和2年に切り崩され、現在は土手通りに。

土手通り沿いに2軒の木造建造物が並び、いずれも国の登録文化財。

左が馬肉の「中江」、右が天ぷらの「伊勢屋」。

見返り柳

吉原大門交差点に立つ。

曲がりくねった五十間通りから仲ノ町通りに入る所に吉原大門があった。

現在の吉原交番の前。


仲ノ町通り

吉原のメインストリート。

写真は特殊浴場が多い揚屋町通り、角町通りと交わる場所。

旧伏見通り(江戸町二丁目)に残る赤線建築

上記写真の隣に建つ転業アパート


上記写真と同一建物

「モリヤ」という屋号のカフェーで、現在も屋号そのままのアパート名に。

旧伏見通り沿いに残る赤線建築

「マスミ」という屋号名が見える。

旧伏見通り沿いに残る赤線建築

「親切」という屋号のカフェーだった。

現在はアパートに。

旧伏見通り沿いに残る赤線建築

京町二丁目に残る赤線建築

「正直」という屋号のカフェー。

現在は屋号そのままのビヤホールに。

京町二丁目の街並み


江戸町二丁目の路地に残る転業旅館

京町二丁目と角町に挟まれた路地に残る赤線建築

江戸町二丁目通りに残る赤線建築

特殊浴場が並ぶ通りに奇跡的に残る。

現在は送迎車用の車庫に。

京町二丁目外れの路地に残るカフェー建築

吉原神社

吉原弁財天

吉原弁財天の玉垣には妓楼の名も

吉原弁財天境内には関東大震災で犠牲になった娼妓を弔う慰霊塔が立つ。


2015年10月 訪問