玉の井(墨田区墨田三丁目)

関東大震災で浅草凌雲閣下の銘酒屋(私娼街)が被災、亀戸とともに移転先として選ばれたのが始まり。

元々低湿地帯だった場所に道路より先にめいめいに銘酒屋が建ち、入り組んだような迷路のような路地(ラビランス)ができあがる。

永井荷風『墨東奇譚』の舞台となった色街は東京大空襲で焼失。

戦後はいろは通りの北側に移り、昭和33年までカフェー街として推移。

『全国女性街ガイド』によれば、当時は「百二十一軒に三百九十名から四百二十名の女が出たり入ったり」していた。

ちなみに、大正から昭和初期の全盛期には「四百七十七軒、千四百名もの『玉のいい』のが」いたそうだ。


関東大震災で壊滅した十二階下の銘酒屋が移ってきたのは写真から見て通りの右側(南側)。
玉ノ井いろは通り(大正道路)

玉ノ井いろは通り(大正道路)

関東大震災で壊滅した十二階下の銘酒屋が移ってきたのは写真から見て通りの右側(南側)。

逆に戦後のカフェー街は左側(北側)に移った。


赤線廃止後の現在は住宅街だが、古いスナックやカフェー建築が狭い路地裏に点在している。
玉ノ井の路地裏

玉ノ井の路地裏

赤線廃止後の現在は住宅街だが、古いスナックやカフェー建築が狭い路地裏に点在している。

複雑な街路で、地図なしで散策すると何度も同じ路地を回る羽目になりそうだ。

交差点を意識したファサードの建物が玉ノ井には多い。
現在は住居として使われているカフェー建築

現在は住居として使われているカフェー建築

交差点を意識したファサードの建物が玉ノ井には多い。

角に対し斜めに入り口がある住居 玉ノ井にはこういうパターンが多い
角に対し斜めに入り口がある住居 玉ノ井にはこういうパターンが多い
バルコニーが曲面の住居
バルコニーが曲面の住居
『赤線跡を歩く』にも出てくる上記写真住居の窓枠がモダンな装飾
『赤線跡を歩く』にも出てくる上記写真住居の窓枠がモダンな装飾
上記写真の住居の向かいにも似たような外観の住居が
上記写真の住居の向かいにも似たような外観の住居が
カフェー建築が向かい合う路地
カフェー建築が向かい合う路地

同一屋根の下にはスナックが3軒並ぶ

カフェー街の目抜き通り
カフェー街の目抜き通り

スナックが並ぶ通り

細い路地だが、恐らくカフェー街の目抜き通りか

スナック「バーロジ」の入り口 漢字にすると「バー路地」か
スナック「バーロジ」の入り口 漢字にすると「バー路地」か
何かと見落としやすい狭い路地にもカフェー建築が
何かと見落としやすい狭い路地にもカフェー建築が

上記路地にタイルで装飾された家屋が

(上下写真2枚)

玉ノ井でも数少ないタイル張りの住居の一軒
玉ノ井でも数少ないタイル張りの住居の一軒

カフェー建築が多く残る玉の井だが、タイル張りの建物は意外にも少ない。

カフェー調の外観をした銭湯「隅田湯」
カフェー調の外観をした銭湯「隅田湯」

遊客や女給もおそらく利用しただろうか

空地の向こうに古いアパート 外観からしてカフェーとして利用した時期もあったのだろうか
空地の向こうに古いアパート 外観からしてカフェーとして利用した時期もあったのだろうか

古い街を歩くとしばしば広大な空き地や駐車場に出くわす。以前には赤線建築が建っていたのだろうか


2014年1月 訪問

冒頭写真は2012年5月のもの(写真建物は現存せず)